大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大津地方裁判所 昭和33年(ワ)81号 判決 1963年12月18日

原告(第一〇五号事件) 本寿院

(第一号事件) 光浄院

(第八一号事件) 万徳院 外三名

(第八四号事件) 正蔵坊 外三名

被告(第一〇五号事件・第一号事件・第八一号事件・第八四号事件) 園城寺

(第一号事件) 福家俊明

主文

原告等の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は、「被告園城寺は、別紙目録一の(一)記載の建物につき原告本寿院が、別紙目録二の(一)記載の建物につき原告光浄院が、別紙目録三の(一)記載の建物につき原告万徳院が、別紙目録四の(一)記載の建物につき原告専光坊が、別紙目録五の(一)記載の建物につき原告定光坊が、別紙目録六の(一)記載の建物につき原告財林坊が、別紙目録七の(一)記載の建物につき原告正蔵坊が、別紙目録八の(一)記載の建物につき原告円宗院が、別紙目録九の(一)記載の建物につき原告両願寺が、別紙目録一〇の(一)記載の建物につき原告上光院が、それぞれ所有権を有することを確認する。被告園城寺は右目録一ないし一〇の各(二)記載の登記につきそれぞれ当該目録に記載の原告に対しその抹消登記手続をせよ。被告園城寺は原告光浄院に対し別紙目録二の(三)記載の土地につき永久の地上権を有することを確認する。被告等は原告光浄院に対し別紙目録二の(一)および(三)記載の各不動産を引渡せ。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として次のとおり述べた。

一、原告等と被告園城寺はいずれも昭和一七年四月一日宗教団体法が施行される以前よりそれぞれ独立の寺院として法人格を有していたところ、同法の施行に伴い同法による宗教法人となり、次いで昭和二〇年一二月二八日施行の宗教法人令により、同令による宗教法人(以下旧宗教法人という)と看做され、さらに昭和二六年四月三日施行の宗教法人法のもとで、原告正蔵坊のみは同法による宗教法人の手続をとらず解散し目下清算中であるが、その余の原告等と被告園城寺は、同法所定の手続を経て旧宗教法人としては解散し、あらたに同法による宗教法人(以下新宗教法人という)として設立されたが、旧宗教法人のとき有していた権利義務はすべて新宗教法人に承継された。

二、宗派の総本山たる寺院は、その境内に一〇数ケ寺以上のいわゆる一山寺院(園城寺、延暦寺等)、または塔頭寺院(大徳寺等)、または寺中寺院の名称をもつてよばれる末寺をかかえているのが普通である。被告園城寺は天台寺門派(ないし園城寺法派、以下同じ)の総本山であり、昭和一七年制定の園城寺寺院規則によると二六ケ寺の一山寺院をかかえていて、原告等はすべてその一山寺院であり、前記宗教団体法施行の際も寺院明細帳に独立の寺院として登録されていた。また右総本山の境内には本堂たる金堂のほか食堂、経蔵、五重塔、山門などいわゆる七堂伽藍ともいうべき社堂や建造物が存在するが、これはいずれも独立の寺院ではなく住職はなかつた。これに反し原告等のような一山寺院は昭和一七年作成の原告等の各寺院規則によれば、(一)それじしんの本尊を有し、本堂庫裡等の財産を所有しかつ独自の収入支出があつて予算が組まれ、(二)それぞれの寺院を主管し代表する住職があり、その身附法類があり独自の布教および法要などの宗教活動をするほか、じしんの檀信徒やその総代があることとなつていて、総本山たる園城寺とは、各独立別個の宗教法人としての機能を持つていた。さらに前記園城寺寺院規則によれば、一山寺院と園城寺とは(イ)相互維持の関係を有し(ロ)一山寺院住職は園城寺の維持経営に協力し法要等に奉仕し(ハ)園城寺は一山寺院の経営につき普通財産を以て配当又は補助を為す関係にあつたほか、園城寺の重要なる事項、たとへば園城寺寺院規則の変更、信徒総代の選任、予算決算に関する事項等を審議し決議によつてこれを決定する機関として一山会議があり、右機関は一山寺院住職をもつて組織されていた。そして総本山たる園城寺の重要な役僧は一山寺院の住職が兼任するという長い伝統があつたのである。然らば園城寺とは一体何かというと、要するに総本山の山内には園城寺いう名の堂舎は存在しないのであり、総本山たる園城寺の物的本体をなすのは総本堂たる金堂などさきに述べた七堂伽藍がそれである。従つて天台寺門派の総本山たる園城寺はその宗教目的のための用に供すべきこれらの財産を本体とする財団的性格をもつ法人とみれば、その山内にあつて、みずからの本堂を持ちつゝも前記金堂を総本堂とし、かつ園城寺と一体となつて布教法要等をなす一山寺院の住職が、園城寺の重要な事項についての意思決定機関(一山会議)の構成員となり、あるいは重要な役僧を兼務して園城寺の維持、運営にあたつてきたというように理解しうるのである。さらに総本山たる園城寺を社団的性格をもつ法人とみれば、園城寺の住職と一山寺院の住職と僧侶の一団及び信徒をもつて構成された社団というほかないであろう。また総本山たる園城寺と一山寺院との関係を米国の連邦と州の関係に対比すれば、一山寺院の総合体たる園城寺が金堂その他の境内仏堂を所有するということになる。以上いずれの見解をとるにしても、一山寺院は総本山とは独立の法人としてみずからの宗教目的の用に供すべき本堂、庫裡等を所有していることを妨げるものではないし、むしろ一山寺院が独立の法的主体たる宗教法人であることはさきに述べたとおりである。一山寺院は場所的にも総本山の山内にあり、その住職が一山会議の構成員であり総本山の役職をも兼ねるがゆえに、一山寺院は総本山の所有に属するというのはその実体を知らない俗見というほかはない。

三、古く千年の歴史を持つ天台宗は山門、寺門、真盛の三派があり戦時中昭和一六年に三派が合同して合同天台宗となつたが、実質的には右三派は消えずそれぞれ独自の維持運営にあたり寺門派は園城寺法派としてその実体を継続してきた。そして戦後昭和二一年一月に合同天台宗は正式に解体されたので法的な宗派はなくなつた。そこで山門、真盛両派はいちはやくそれぞれ宗派としての登記をなし宗教法人令による宗派設立の手続を終えたのであるが、寺門派においては同派に属した各寺院の宗教法人としての登記が存するのみで、これに包括する宗派は法的に存在しなくなつたのである。ところが被告園城寺の前住職であり、かつ前代表役員であつた亡福家守明は昭和二一年四月一二日伝統を無視して原告等を除外し腹心と謀つて宗制を作り天台寺門宗なる宗派を設立して登記し、翌二二年四月原告等寺院の住職をもつて構成さるべき一山会議にはからずに独断で信徒総代を解任しその意のままになる信徒総代を選任し、園城寺寺院規則を変更し、被告園城寺を天台寺門宗に所属させたのである。福家守明の設立した天台寺門宗なる宗派と被告園城寺は法的な性格は別として千年の歴史をもつ寺門派ないしは園城寺の正統を継ぐ実質を備えざるものであるから原告等は所属宗派なき寺院として昭和二二年二月登記したのである。そのごも原告等は第三者の仲介等もあり伝統ある天台寺門派として統合、和解すべくあらゆる犠牲を払つたのであるが、福家一派はこれを排し恣意を通してきている。しかしいずれにしても原告各寺院が被告園城寺の一山寺院たるの実体はなんら変化、消滅しているものではない。

四、原告等は前記の如く、被告園城寺の一山寺院でありかつ、各独立の宗教法人として請求の趣旨記載の別紙目録一ないし一〇の各(一)記載の各建物をそれぞれ所有しているものであるが、そのことは以下述べるところにより明らかである。

(一)  歴史的にみて、右各建物が被告園城寺に対して寄進されたという例は一つもないし、むしろ園城寺衆徒中の高僧が創立したか、右高僧に時の権門勢家がこれを建立寄進したかのいずれであつた。

(二)  明治時代においておよそ寺院であるものは、すべて登載されなければならなかつた寺院明細帳には原告等は寺院として記載され、右各不動産は原告等の所属として記載されている。

(三)  原告等と被告園城寺は昭和一七年施行の宗教団体法による宗教法人となるためそれぞれ寺院規則を作成し、滋賀県知事に対しそれぞれ寺院規則認可申請書を提出して認可をうけたが、被告園城寺が認可を受けた園城寺寺院規則認可申請書の添付書類には本件各建物は園城寺所有としては記載されず、却つて原告各寺院の寺院規則認可申請書の添付書類に本件各建物がそれぞれ原告等所有と記載されていたし、被告園城寺も少くともそのころは右事実を認めていた。右各申請書類は相当の日時を費し慎重に審議したのち作成されたものであり、右手続にもとずいて寺院明細帳に代る寺院台帳が作成されたが右申請に対応して登録がなされていることはいうまでもない。

(四)  昭和一七年制定の園城寺寺院規則第九九条にもとづき作成された園城寺資産台帳及び同規則第一〇五条にもとづき作成された園城寺財産目録には、本件各建物は被告園城寺所有として記載されていなかつた。

(五)  他の宗派における一山寺院はすべてその建物を所有しているのであり、園城寺の一山寺院のみがその建物を所有しない理由はない。

(六)  原告光浄院の別紙目録二の(一)の(ロ)記載の建物は明治三四年三月二七日原告光浄院の所有として国宝建造物の指定を受けたのであり、右建物が園城寺境内とあるのは右建物の所在場所の表示にすぎない。

五、以上のように原告等は本件各建物につきそれぞれの所有権を有するのであるが、右各建物につき、別紙目録一ないし一〇の各(二)記載の(イ)所有権保存登記、(ロ)所有権承継取得登記がなされている。右各建物は非課税物件であるため家屋台帳に登載されていなかつたので、被告園城寺は大津税務署長の非課税物件なることの証明書と右物件が、「被告園城寺所有の仏堂及びその附属建物で非課税物件なること」の大津市長の証明書をもつて右(イ)の所有権保存登記をしたのであるが、他にその所有権を証明すべき資料は存しないのである。原告等が大津市の係員について後日問いたゞしたところによると同市長が右建物につき被告園城寺に所有権ありと認定した根拠となる資料はなく、右証明は単なる非課税物件なることの証明と誤解してなしたもので所有権の証明をした部分は誤であつたとの弁解がなされた。そして昭和二六年施行の宗教法人法附則第一八項により右(ロ)の所有権承継取得登記がなされたのである。

六、別紙目録二の(三)記載の土地は原告光浄院の境内敷地で、同原告は同地上に同目録二の(一)記載の建物のほか昭和九年一二月二八日国宝に指定された庭園を所有している。右土地は徳川時代はともかく明治維新以後寺院敷地がすべて国有地とせられたのちも、同原告がその境内敷地として永久に無償使用することを許されてきたものである。そして昭和二二年法律第五三号により寺院の国有境内地につき譲与または売払が行なわれることになり、本件土地についても原告側と被告園城寺側との無償譲与申請が競合したのであるが、種々のいきさつを経てほんらい同敷地上に工作物を所有し古き寺門派の伝統を継ぐ原告側に対する譲与がなされず、被告園城寺に対して昭和二七年一二月一五日に無償払下がなされた。右払下は無効と信ずるが仮に有効としても同原告は前記のごとき工作物所有のための地上権をもつて被告園城寺に対抗しうるものといわねばならない。前記福家守明はもと光浄院住職をしていたが昭和一九年七月青峯良覚と右住職を交替したのちも、引き続き別紙目録二(一)の建物に居住していて昭和二七年一二月死亡し、そのご被告福家俊明が居住し被告園城寺も事務所として占有し併せてその境内地たる前記目録二(三)の土地をも占有している。

よつて請求の趣旨記載の判決を求めるため本訴に及んだ次第である。

以上のように述べ被告主張の事実はすべて否認すると述べた。

被告等訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、次のとおり述べた。

一、請求原因第一項中、原告等が宗教団体法が施行される以前より独立の寺院として法人格を有したとの事実は否認する。その余の事実は認める。

二、請求原因第二項中、原告等がかつて天台寺門派の総本山たりし被告園城寺の一山寺院であつたことは認めるが独立の寺院として寺院明細帳に登録されていたとの事実は否認する。右明細帳には単に「園城寺」と題する一紙に被告園城寺に付属して原告各寺院が記載されていたにすぎない。

三、請求原因第三項中、昭和二一年四月、天台寺門宗が設立登記され、被告園寺が天台寺門宗に所属した事実及び原告等が同二二年二月所属宗派なき寺院として登記された事実は認めるが、これによつても原告等が被告園城寺の一山寺院たるの実体はなんら変化、消滅するものではないとの主張は否認する。原告等が所属宗派なき寺院として登記されたのちは被告園城寺の一山寺院たる資格を喪失したものである。原告の請求原因中被告園城寺ないし天台寺門宗が正統を継ぐものではないとの点は否認する。両者は法令にしたがい所定の手続を経たのち伝統ある園城寺ないし寺門派を継承しているものである。

四、原告等の請求原因第四項中、原告等が別紙目録一ないし一〇の各(一)記載の建物をそれぞれ所有するとの主張はすべて否認する。

(一)  古い歴史をもつ天台寺門派の総本山たる被告園城寺は開創いらい隆盛になるに伴い宗教活動等の寺務、政務も増大するとともに金堂、食堂、仏堂のほか宗教活動等に従事する僧侶、徒弟の住坊などの附属建物を必要に応じ建立しあるいは時の権門勢家から寄進をうけこれらをすべて被告園城寺の用に供してきたのであつてその所有者は被告園城寺である。そして本件各建物も被告園城寺に奉仕する僧侶徒弟の僧房として以上のような経過で建立されたものであり、所有者たる被告園城寺住職の許可がなければ、一山寺院の住職といえども右建物に居住することは出来なかつたし、本件各建物にある本堂は護摩堂といわれ一般の礼拝に供するものでなくそこに住む僧侶徒弟の礼拝する内仏堂であつた。

以上のように被告園城寺の附属建物を使用する状態を場所的に院、坊と呼んでいたがこの院、坊が時代の推移に伴い権利義務の主体としての行為をするようになり、進んで被告園城寺の子院となり宗教団体法施行以後法人格を有するに至つた。原告等は右由来によつて明らかなように被告園城寺の子院としての性格をもつものであり、本寺たる被告園城寺との関係を絶てばその建物を使用する権利をも喪うのである。原告等は前記のように昭和二二年以来被告園城寺と関係を絶つに至つたから本件各建物を使用する権能さえ喪つている。現に本件各建物は数十年来被告園城寺において管理し光浄院を除き第三者に賃貸中であり、原告等はなんらの宗教活動をしていないのである。

(二)  原告等が被告園城寺は別個に、それぞれ異る寺院明細帳に記載されていたのではなく、被告園城寺に附属して記載されたにすぎないことはさきに述べたとおりである。明治一二年六月二八日内務省達乙三一号明細帳要式の件には「……社寺毎ニ各紙ニ相認ムヘシ」とあり、原告等が当時独立の寺院として右各建物を所有しているならば、「園城寺」という一紙に記載されず各別紙に記載された筈である。また、たとへ寺院明細帳に右建物が原告等の所属として記載されていたとしても、寺院明細帳にはなんら形成力も公信力もないのである。

(三)  宗教団体法による宗教法人となるため原告等と被告園城寺が原告等主張のような寺院規則認可申請書を提出したとき、その添付書類においてその主張のように本件各建物の所有関係を記載してあつたことは認める。右添付書類に本件各建物がそれぞれ原告等の所有と記載されたのは、昭和一五年四月一日宗教団体法が施行され、同法第三二条により寺院となろうとするものは昭和一七年三月三一日までに寺院規則を作成し総代の同意、管長の承認、地方長官の認可を得なければならず、原告等及び被告園城寺は右期限切迫により寺院規則認可申請書類を急ぎ作成したのであり、右書類は事実上及び法律上の吟味を欠き、原告各寺院の各申請書類の形式を整へるために本件各建物は原告等の所有と記載した結果寺院台帳にもこれに対応した登録がされたのであり、右認可申請の主眼は寺院規則の認可を求めることであり、基本財産等の附属書類は重視されなかつたし、地方長官も実体上の審理をせず形式が整つておればすべて認可したのであり、これのみによつて本件各建物が原告等それぞれの所有であるということにはならない。

(四)  請求原因第四項(五)の事実中、他の宗派における一山寺院がその建物を所有している例のあることは認める。しかしながら他の宗派における一山寺院は、明治初年の寺院明細帳にはそれぞれの本山とは別個に独立の寺院として別紙に記載されていたのであり「園城寺」と題する一紙にすべて記載されていた原告等とは性質を異にするものであり、他の宗派における一山寺院がその建物をそれぞれ所有しているからといつて、被告園城寺の一山寺院が本件各建物を所有しているとはいえない。

(五)  請求原因第四項(六)の事実は争う。光浄院客殿は明治三四年三月二七日特別保護建造物に指定され、昭和二七年一一月二二日国宝に指定されたものであつて被告園城寺の所有であり原告光浄院の所有ではない。

五、請求原因第五、第六項中、本件各物件につきその主張のごとき登記を経由していること別紙目録二(一)の各建物を被告園城寺が事務所として使用し被告福家俊明が被告園城寺の住職としてこれを使用していることは認めるが、その余の事実は争う。すなわち、別紙目録二の(三)記載の土地は昭和二七年一二月一五日国より被告園城寺が有効に無償払下をうけたものであつて、昭和九年一二月二八日国宝に指定された庭園も被告園城寺が所有しているのであるそして被告園城寺は原告光浄院と右土地につき地上権設定契約をしたことはないし、また賃貸借契約をしたこともない。

証拠<省略>

理由

一、被告園城寺が宗教団体法が施行せられる以前より独立の寺院であつたこと、原告等と被告園城寺が宗教団体法及び宗教法人令による宗教法人であつたこと、昭和二六年施行の宗教法人法のもとで原告正蔵坊のみは同法による宗教法人設立の手続をとらずに解散し目下清算中であるが、その余の原告等と被告園城寺は同法による宗教法人となり宗教法人令による宗教法人たりしときの権利義務を一切を承諾したことは、いづれも当事者間に争がなく、右宗教団体法は昭和一五年四月一日施行せられたこと、同法附則第三二条により同法施行の際現に寺院明細帳に登録された寺院は同法により設立を認可せられた寺院と看做され、右寺院は同法施行後二年以内に寺院規則を定め地方長官の認可を受けることが必要であつたことは当裁判所に顕著である。

二、而して原告等が昭和二二年所属宗派のない寺院として法人登記をする以前においては、原告等が天台寺門派の総本山たりし被告園城寺の一山寺院であつたことは被告等も認めるところであり、成立に争のない甲第一ないし第一一号証の各四、同第一二号証の九と証人中西猷淳、原告本寿院代表者滋野敬孝本人の供述を綜合すると、原告等主張のように原告等各寺院がそれぞれみずから本尊や住職を持つ単独の寺院としての形態を備え、総本山たる園城寺と相互維持の関係を有し、一山寺院住職をもつて組織する一山会議(古くは住職会議)が園城寺の維持運営に関する重要事項の決議機関であつたほか、一山寺院住職が園城寺の催す法要、儀式に奉仕し、園城寺は一山寺院に対し経済的補助を為すなど両者は別個の寺院としてありながらも密接な関係を有していたこと、この関係は明治時代以前において生じたものとみられるけれども、約千年に近い歴史をもつ園城寺において右のような関係が発生したのが何時であるかは必ずしも明かでないこと、然しながら昭和一七年制定の原告等各寺院規則にその主張のように独自の基本財産を有しみずからの宗教活動をするに足る組織形態を備えているかのような各定めがあるが、原告光浄院を除く原告等がその所有と主張する本件各建物をその寺院の用に供してみずから独自の宗教活動をしたり、その住職が同建物に居住したりしたことは明治初期以後殆んどなく、すべて俗人にこれを管理させ、或は賃貸し、園城寺において賃料を徴していること、原告光浄院も当事者間に争のない如く現に被告園城寺事務所として使用中であり、相当以前から同様に住職が居住せず寺院みずからの宗教活動もなされていないこと、そして少くとも明治以後一山寺院住職は住職に任命せられても多くは当該寺院に居住せず被告園城寺住職の指定する山内の建物に居住していたこと、本件各物件はいづれも明治時代以前に建立ないし造築されたものであることは、以上の事実がそれぞれ認められ、右認定に反する証拠はない。

以上の事実に後記認定の寺院明細帳(成立に争のない甲第四九号証)の記載を合せ考えると、原告等が明治以前から(その始期は不明)総本山とは密接な関係をもちつつも、これとは対立し一個の権利主体として社会活動の単位を為す人格を備えていたものと考えられるところ、被告等は原告等が昭和二二年所属宗派のない寺院としての登記をしたとき以後、被告園城寺の一山寺院たる地位は消滅したというのがそのころ以後において本件各物件に関する所有関係等に直接影響を及ぼすような新たな処分行為が当事者間で為されたとの点は双方の主張立証しないところであるから、原告等が依然として今日まで被告園城寺の一山寺院たる性格をもつか否かの問題はしばらく措き判断を進める。

三、そこで本件各建物が原告等の所有に属するか否かを考えるに、

(一)  前記中西証人の証言によれば、被告園城寺を総本山とする天台寺門派が教団を拡大するにつれて長い年月を経るうち総本山を中心として山内に次第に物的施設が増加し、時には兵火に焼かれたりしたが再び権門勢家による寄進その他で旧に復するなど盛衰を繰り返しつつ今日に及んだこと、本件各建物が何時建立されたかは明らかでないが(尤も明治以前であることは前に認定した)、教団の盛時には一山寺院も現在(約二〇数個)の数倍もあつたことが認められ、一山寺院が前記のように独立した権利主体としての地位を獲得したのちにおいて一山寺院みづからがこれを建立し或は寄進を受けたものがあり得ないことではないと推測されるけれども、これを確認すべき証拠はない。まして原告等がみづから本件各建物につき大規模な修復工事を加えてきたという証拠もなく、却つて成立に争のない乙第五、第九号証によれば、明治三九年原告光浄院の客殿の修理は被告園城寺の住職(天台寺門派の長吏)が国庫補助金を得て当時においては相当高額な費用を使つてこれをしたこと、昭和時代に入つてからも被告園城寺において本件各建物の小修理をした事実があることが認められ、叙上認定したとおり一山寺院が独立の人格を与えられた後も総本山たる被告園城寺において一山寺院の建造物に対する維持管理について無関係ではなかつたことが認められるほか、前段認定の如く一山寺院の住職は住職に任命せられても多くは当該寺院に居住せず被告園城寺住職の指定する山内の他の建物に居住していたのである。これらの事実に徴するも本件各建物が原告等の所有に属すると認め得ないことはいうまでもない。

(二)  前記中西証人の証言により明治初期のころ作成され滋賀県が公簿として備えつけてきたと認められる寺院明細帳(成立に争のない甲第四九号証)によれば、原告各寺院が寺院として記帳されていることは原告等主張のとおりであるが、同号証によると、天台寺門本派総本山園城寺としたあとに境内寺院三六ケ寺あるいは飛地境内寺院二九ケ寺なる構造のもとに原告等の寺院名を列記し、以上各寺院の次に本尊、由緒、建物を列記しているのであるが、このことが前記のとおり一山寺院がそれぞれ固有の本尊、庫裡等を備えた総本山とは別固の人格をもつ独立寺院であつたことや、そこに列挙された各建物が当該寺院の宗教活動の場としてその用に供されるべきものとされていたことの証拠と為し得るとしても、直ちにこれが原告等の所有に属することを示すものとはにわかに断定し難い。且つ寺院明細帳には公信力も形成力もない。従つて右記載があるからといつて本件建物が原告等の所有ということはできない。

(三)  宗教団体法施行に伴い県知事あてに提出せられた園城寺寺院規則認可申請書の添附書類に、本件各建物が被告園城寺所有としては記載せられず、却つて原告等の前同様の申請書の添附書類に各建物はそれぞれ原告等所有と記載せられ、これに対応して寺院台帳に同様の登録が為されていることは当事者間に争がない。而して右添附書類及び寺院台帳には公信力も形成力もないのみでなく、成立に争のない甲第一ないし第一一号証の各一ないし七、第一二号証の一ないし八、第一三ないし第二〇号証、第二二ないし第二四号証に前記中西証人の証言を綜合すると、右申請書の提出はその二年位前から予定されていたもので、右各申請書及びその添附書類の提出については一山会議において全員同意の決議を経て為されたものであることが認められるけれども、右各証拠に証人中村直助、同小林慶存の各証言を合せ考えると、右各申請書の提出手続は被告園城寺事務所がすることになつており、前記のように早くから右書類提出が予定されていたが、同書類には寺院の土地建物の図面をも提出することが要請されていて、同図面の作成が容易でない作業であり、右申請書類作成の準備を怠つていたところ、右申請書の提出期限である昭和一七年三月三一日が切迫し、期限までに右申請書を提出しない寺院は廃寺とせられるというので右期限が迫つてにわかに右関係書類を作成したものであること、従つて右書類の内容特に本件建物に関する所有関係の記載内容は関係者の充分な吟味を経ず、末端の事務職員等が短時日の間に各寺院がそれぞれ独立寺院たるに必要な寺院規則、基本財産等を有するごとく形式を整え急拠作成したもので、前記一山会議においてもその内容を充分検討したものでないこと、そして地方長官はこれら申請書類について実質的な審査職務はなく、形式上の審査を経て前記寺院台帳に右申請書類に対応した登録を為し、或は各寺院規則を認可したものであることが認められるのであつて、前記中西証人及び原告本寿院代表者本人の供述中右認定に反する部分は措信できない。従つて前記申請書類並びに寺院台帳における本件各建物について為された所有関係の記載及び右各寺院規則認可の事実をもつてしても、原告等が本件各建物を所有することの確証とはなし得ない。

(四)  昭和一七年当時園城寺寺院規則第九九条にもとづき作成せられた園城寺資産台帳及び同規則第一〇五条にもとづき作成せられた園城寺財産目録には本件各建物は被告園城寺所有として記載されていなかつたことについては被告等は明らかに争つていないからこれを自白したものとみなされる。しかし宗教団体法施行規則第六条によれば、同法施行に伴う寺院規則認可申請のほかに教派、寺院はそれぞれ財産目録、資産台帳を備えることが必要とせられていたわけであるから、同法施行に伴う前項一連の手続として右各帳簿を作成したものであることが前記各証拠により推認されるから前項と同様の理由により右記載のないことも本件各建物が原告等の所有に属することの証拠とはなし得ない。

(五)  尤も他宗派における一山寺院がその建物を所有している例のあることは当事者間に争がない。しかし宗派の異るに応じその教団の由緒沿革ひいてはその物的施設に関する所有関係が異らざるをえないことはみやすい道理であつて、それが当初から一山寺院が所有していたものか、或は総本山との共有的関係にあつたものか、或は総本山から譲渡を受けたものか、縷々の事例が予測されるわけであるから、右のような事実をもつて直ちに本件の場合において原告等各寺が本件各建物を所有することの証左となし得ない。

(六)  原告光浄院は、別紙目録二の一の(ロ)記載の建物につき明治三四年三月二七日同原告所有の建造物として国宝の指定を受けていると主張するが、これを認むべき証拠はない。尤も成立に争いない甲第四八号によると、滋賀県教育委員会が昭和二五年三月発行した滋賀県国宝重要美術品目録中右建造物の「所有者(所在地)」とした欄に同原告の表示がなされていることが認められる。しかしながら成立に争いない乙第一〇号証(官報)によれば右原告主張の日内務省告示により右建造物(光浄院客殿)はその所在地を園城寺境内として特別保護建造物に指定せられたことが認められるのみで、これが同原告所有の建造物であると認定した形跡はない。従つて上記目録の右記載のみで右建造物が同原告の所有であることの証拠となし得ない。

(七)  その他すべての証拠を検討しても本件各建物につき原告等がその所有権を有することを断定するに足る証拠はない。

四、原告光浄院が別紙目録二の(三)記載の土地上に同原告主張の庭園を所有しているとの主張事実についてはこれを認めるに足る証拠がないことは、同目録二の(一)記載の建物につき上に述べたところと同断であり、他に同原告が右土地につき地上権を有することを認むべき何らの資料もない。

五、よつて原告等がそれぞれ本件各建物ないし庭園を所有すること及び地上権を有することを前提とする原告等の本訴請求はすべて爾余の判断をするまでもなく理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 畑健次 首藤武兵 広川浩二)

別紙

目録一

(一) 大津市園城寺町番外地

(イ) 木造瓦葺平家建本寿院本堂 一棟

建坪 六坪八合六勺

(ロ) 家屋番号同所一三番、木造瓦葺平家建居宅 一棟

建坪 五五坪

(二) (1) 右(一)(イ)記載の物件(本寿院本堂)につき

(イ) 大津地方法務局昭和二三年一二月二一日受付第三四六五号、被告園城寺のための所有権保存登記

(ロ) 大津地方法務局昭和三一年八月二三日受付第三一二七号、被告園城寺のための所有権の承継取得登記

(2) 右(一)(ロ)記載の物件につき

(イ) 大津地方法務局昭和二三年一〇月二一日受付第二八六四号、被告園城寺のための所有権保存登記

(ロ) 大津地方法務局昭和三一年六月二九日受付第二四二四号、被告園城寺のための所有権の承継取得登記

(以上原告本寿院関係)

目録二

(一) 大津市別所番外地

(イ) 木造瓦葺平家建光浄院本堂 一棟

建坪 九坪二合七勺

附属

(ロ)木造柿葺平家建客殿 一棟

建坪 五三坪九合

(ハ) 木造瓦葺平家建庫裡 一棟

建坪 八五坪八合七勺

(ニ) 中門木造瓦葺

建坪 一坪七合五勺

(ホ) 門木造瓦葺

建坪 一坪

(二) 右(一)(イ)(ロ)(ハ)記載の建物のための登記

(イ) 大津地方法務局昭和二三年一二月二一日受付第三四六五号、被告園城寺のための所有権保存登記

(ロ) 大津地方法務局昭和三一年八月二三日受付第三一二七号、被告園城寺のための所有権の承継取得登記

(三) 光浄院敷地 一一九〇坪八合八勺

大津市園城寺町番外地

(以上原告光浄院関係)

目録三

(一) 大津市園城寺町番外地 家屋番号同所第十一番

木造瓦葺平家建居宅 一棟

建坪 五〇坪二合

(二) 右(一)記載の物件につき

(イ) 大津地方法務局昭和二三年一〇月二七日受付第二八六四号をもつてなされた被告園城寺のための所有権の保存登記

(ロ) 大津地方法務局昭和三一年六月二九日受付第二四二四号被告園城寺のための所有権の承継取得登記

(以上原告万徳院関係)

目録四

(一) 大津市神出小関町九七番九八番合併

木造瓦葺平家建 専光坊本堂

建坪 七坪二合

附属

木造瓦葺平家建天神堂 一棟

建坪 九坪八合一勺

木造瓦葺平家建絵馬堂 一棟

建坪 五坪八合八勺

木造瓦葺平家建庫裡 一棟

建坪 八一坪九合七勺

(二) 右(一)記載物件につきなしたる

(イ) 大津地方法務局昭和二三年一二月二一日受付第三四六五号をもつて被告園城寺のためになされた所有権の保存登記

(ロ) 大津地方法務局昭和三一年八月二三日受付第三一二七号、被告園城寺のための所有権の承継取得登記

(以上原告専光坊関係)

目録五

(一) 大津市真西町三七番地

木造瓦葺平家建定光坊本堂 一棟

建坪 八坪六合五勺

附属

木造瓦葺平家建弁天堂 一棟

建坪 三坪七合五勺

(二) 右(一)記載物件につき

(イ) 大津地方法務局昭和二三年一二月二一日受付第三四六五号をもつて被告園城寺のためになされた所有権の保存登記

(ロ) 大津地方法務局昭和三一年八月二三日受付第三一二七号、被告園城寺のための所有権の承継取得登記

(以上原告定光坊関係)

目録六

(一) 大津市園城寺町番外地

木造瓦葺平家建財林坊本堂及庫裡 一棟

建坪 七八坪六合

附属

木造瓦葺平家建土蔵 一棟

建坪 八坪三合七勺

(二) 右(一)記載物件につき

(イ) 大津地方法務局昭和二三年一二月二一日受付第三四六五号をもつて被告園城寺のためになされた所有権の保存登記

(ロ) 大津地方法務局昭和三一年八月二三日受付第三一二七号、被告園城寺のための所有権の承継取得登記

(以上原告財林坊関係)

目録七

(一) 大津市神出小関町八八番地、家屋番号同所第十三番

木造瓦葺平家建居宅 一棟

建坪 三五坪二勺

附属

木造瓦葺平家建物置 一棟

建坪 五坪六勺

木造瓦葺平家建便所 一棟

建坪 二坪六合

(二) 右(一)記載物件につき

(イ) 大津地方法務局昭和二三年一〇月二一日受付第二八六四号、被告園城寺のための所有権保存登記

(ロ) 大津地方法務局昭和三一年六月二九日受付第二四二四号、被告園城寺のための所有権の承継取得登記

(以上原告正蔵坊関係)

目録八

(一) 大津市園城寺町番外地

(イ) 木造瓦葺平屋建本堂 一棟

建坪 五坪九合二勺

(ロ) 家屋番号同所九番

木造瓦葺平屋建居宅 一棟

建坪 五九坪二合三勺

(二) (1) 右(一)(イ)記載物件につき

(イ) 大津地方法務局昭和二三年一二月二一日受付第三四六五号、被告園城寺のための所有権保存登記

(ロ) 大津地方法務局昭和三一年八月二三日受付第三一二七号、被告園城寺のための所有権承継取得登記

(2)  右(一)(ロ)記載物件につき

(イ) 大津地方法務局昭和二三年一〇月二一日受付第二八六四号、被告園城寺のための所有権保存登記

(ロ) 大津地方法務局昭和三一年六月二九日受付第二四二四号、被告園城寺のための所有権の承継取得登記

(以上原告円宗院関係)

目録九

(一) 大津市神出町二一六番地

木造瓦葺平家建両願寺本堂及庫裡 一棟

建坪 三七坪四合九勺

(二) 右一記載につき

大津地方法務局昭和三二年七月一一日受付第一〇八号、被告園城寺のための所有権保存登記

(以上原告両願寺関係)

目録十

(一) 大津市園城寺町番外地

家屋番号同町一二番地

木造瓦葺平屋建庫裡(居宅) 一棟

建坪 四二坪五合八勺

(二) 右(一)記載物件につき

(イ) 大津地方法務局昭和二三年一〇月二一日受付第二八六四号、被告園城寺のための所有権保存登記

(ロ) 大津地方法務局昭和三一年六月二九日受付第二四二四号、被告園城寺のための所有権承継取得登記

(以上原告上光院関係)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例